Vol.18
生涯かけて 償う
東京電力 福島復興本社 石崎代表に聞く

 東京電力福島第一原発事故を受けて、福島県の復興に関わる業務を最前線で担い、迅速に進めることを目的として東京電力は2013年1月、福島復興本社を広野町のJヴィレッジに設立した(16年3月に富岡町に移転)。賠償や除染、復興推進が主な仕事。復興本社初めての代表が石崎芳行さんで、明日6月23日に退任する。

 退任前に話を伺いたい−−そう思ったのは私は取材にいく先々で頻繁に遭っていたからだ。現場で逢うということは、現場に出ているということだ。何かを本気で知ろうと思う時に、自分で見て人と話して感じなければ絶対にわからないことがある。復興本社代表、東電副社長という肩書きながら福島県内を駆け回るその行動から、本気で福島のことを考えていることが感じられた。

 15年7月に、南相馬市で活動する団体、福興浜団による福島第一原発の視察に同行させてもらった。所内の状況を見て回り石崎さんに説明を受けた後、最後に質問する機会があった。「原発の事故により、人の命が葬られた事実があります。それでも東電は今後も原発が必要と考えますか?」。この質問は、責任ある立場の人だから結局お茶を濁したような回答しか返ってこないだろうと思いながらのものだった。しかし石崎さんはその事実に対し改めてお詫びの言葉を言った後にはっきりと言った。「今の時点で原発は必要と考えています」。その理由も述べた。その回答と理由について思うことは多々あったし、反発を抱く人は少なくないだろう。しかし自分の本音を喋ったことは確かだ。人間はひとりひとり考えが違うのは当たり前だが、その違う考えの人々が一緒の社会を作っていくには対話しかない。本音で語らない人と対話をしても無駄であるし、昨今特に自分の保身を考えて率直に話さない人ばかりを見てきた。少なくとも石崎さんは真剣に対話できる東電の幹部なのだということを感じたのだ。

​◇

 原発事故直後、東京の本店で会社と発電所のある地域とのつながりに関わる職務だった石崎さんは約200箇所の避難所に支援物資を送るなどの対応に追われた後、社長らとともに避難所をお詫びして回る日々が続いた。避難区域の避難者だけで約16万5千人。その膨大な数の人たち、その悲惨な生活の状況を見て、とんでもない迷惑をかけたことを痛感したという。土下座して回る中には、知っている人がたくさんいた。多くは2010年までの3年間勤めた福島第二原発(2F)の所長時代の知り合いだった。「お前、絶対安全だって言ったのに!」、「世界最大の公害企業の手先だ!」と、怒り、憎しみをぶつけられた。「原発は絶対に安全だ」と自らも教えられ信じ、それを2F所長時代には疑いもなく住民に説明してきた。30年間、電力で日本を支えてきたと誇りに思っていた仕事がなんだったのか--。発電所とともに福島の浜通りの人たちと共存共栄し、その人たちに信頼されてきた関係は一瞬で崩れ去った。同時に「この人たちを置いて自分が逃げたら、地獄に落ちる」と、一生この事故と向き合う覚悟が残った。

 

 そんな折の2012年、社内では復興加速のための組織を福島県内に作るという話が持ち上がった。6月に常務になった石崎さんはその設立準備に関わり、13年1月の立ち上げが決まるとその代表に就くよう命じられた。

 

 最初はやり場のない怒りや悲しみをぶつけられることが自分の役割だと思っていた。「すぐに帰れると思ったのに‥」などと住民の話を聞いて回った。草刈りをしてほしい、放置されたままの家の片付けをしてほしいなどの住民の要望で活動する「復興推進活動」は復興本社の大きな仕事のひとつだ。年月が経つとその活動が浸透し始め、「ありがとう」と言われるようになった。住民たちの生活も少し落ち着き始め、旧知の住民からも2F所長時代に一緒に酒を飲んだ昔話をされることもあった。

 

 現場に行き、人に会って話を聞き、どんな状況で何が必要か、どんな変化があるのかに気づくことを一番大切にしてきた。把握したイベントや活動には極力足を運び、九州に自主避難している人にも会いに行った。住んでいる広野町の単身寮から車で出勤する際には途中で降ろしてもらい、周りの変化を見ながら徒歩で向かった。

​◇

 この4年半で一番印象に残ったことを尋ねた際に、福興浜団の上野敬幸さんとの話が出た。上野さんは津波で家族4人を亡くし、行方不明の父と息子の捜索を続けている。代表就任まもないころ、当時ラジオ福島のアナウンサー・大和田新さんから「この人に会ってくれ」と、どういう人なのかも説明もないまま会いに行ったのが始まりだった。津波で破壊された痕跡が残る母屋の前で、渡した名刺をすぐさま捨てられ「鬼の形相」でこう言われた。「今頃何しにきた!」。上野さんの握られた拳はブルブルと震えていて、殴りかかられるのを覚悟したという。母屋の隣に建てられた家の祭壇に土下座し、約2時間上野さんのたまり続けた怒りを聞いた。原発の爆発で警察も自衛隊も捜索から撤退したこと、自分たちだけで捜索を続け何十人もの犠牲者を収容したこと。当時身ごもっていて避難せざるを得なかった上野さんの妻は、遺体で見つかった娘の葬儀に立ち会うことすらできなかったこと。

 こんな話も聞いた。ある時上野さんが怒りをぶつけた南相馬の被災者担当をしていた東電社員が、その後上野さんの自宅のある萱浜地区に人知れず毎朝訪れ、あちこちに設けられた祭壇に手を合わせて回るようになったという。その姿を黙って見ていた上野さんの気持ちが少し変化した。東電が憎いのは変わらないが、社員という「人」を憎んでいるのではないと。「こういう立派な社員を持って、ありがたいと思ってください」と石崎さんは伝えられた。そして「東電は絶対許しません。あなたがこれからどういう行動をとるかずーっと見ています」と、帰り際に上野さんに言われた言葉がその後心に残り続けたという。

 上野さんの石崎さんへの見方が変わった契機も、第一原発視察での石崎さんの発言だった。その場には上野さんのほかにも、家族が津波の被害に遭い原発事故の影響でずっと捜索に困難を極めていた大熊町の木村紀夫さんもいた。その本人たちの目の前での発言だった。視察が終わり、上野さんは「あの立場でよくあんなこと言ったね‥」と驚きを隠さず言った。「正直な人だ」と思い、信頼できると感じたという。今では、上野さんが石崎さんに直接頼みごとをしたり、福興浜団の行っている菜の花迷路や花火のイベントには東電社員が手伝いに訪れている。

​◇

 ただ誠意が届いていないところもあるのは確かだ。同じ発言を聞いても木村さんは、正直な人とは感じてもその発言には憤りを覚えたという。木村さんは家族3人を亡くし、見つからない次女を捜していたが、自宅周辺は原発事故により帰還困難区域となったためずっと捜索もままらなかった。2016年12月になってご遺骨の一部が見つかり、それを耳にした石崎さんだが、いたたまれない心情を考えると言う言葉も見つからず、今一度お詫びに会いにいくことに二の足を踏んでいた。しばらく時間が経ってから大熊町の捜索現場まで謝罪のため会いに行ったが、木村さんは来たことに感謝しつつも、「なぜ今頃なのか、見つかる前にもっと捜索に協力してくれなかったか」と思っている。

 この事故があって、関係している人の心のわだかまりが全て取れたり、一件落着となることはずっとないのは当然かもしれない。それでも対話を続けることでしか、どこかに進むことはできないのだろう。

​◇

 代表は復興調整部長の大倉誠さんに引き継がれ、石崎さんは福島担当特別顧問に就任し今後も福島復興に関わり続ける。まずやりたいのは、語り伝えることだという。2F所長時代含め通算で8年間福島に関わって見聞きしたことを社内外問わず伝えるのが使命と考えているという。最近、当初賠償窓口を担当していた社員からその時の体験を初めて聞き、こういう事実を語り継いでいくことも東電の重要な役割と感じたという。

また、社内一と自負している自分の人脈を地域の復興に生かしたいという。その人脈を頼って、すでに営農再開の足かせとなっているイノシシの対策の実験も手伝っているという。これまで以上に県内を回り、復興の段階の変化による住民のニーズの変化に気づいて生かしていきたいと話した。「企業とは社員ひとりひとりのこと。企業として責任を取り信頼を回復するには、社員ひとりひとりが汗を流し行動するしかない」。

​◇

■その他今回インタビュー抜粋

 

ー原発事故の住民補償は現状で適切と考えているか

原則は決められた賠償でやるが、それで責任が終わりということではない。そのための復興本社。これで満足かは、みなさんがどう思うかにかかっている。

 

ー福島第一原発事故の責任は東電と、ほかに誰にあると考えるか

法的に責任が誰にあるかはわからない。裁判をして事故原因が全て東電にあるとなれば、会社として責任を取らなければならない。ただし、事故の処理の責任が東電にあるのは確か。

 

ー原発が必要だという理由を聞きたい

国のエネルギー政策があった上でそれに応えるべく電力を供給する責任がある。国民の要望による電力を供給するのが使命。電力を作る計画は長期的なもので、すぐに別のものに変換することは難しい。一定程度原発に頼らなければいけない。また電力安定供給のために、複数の手段の発電が必要。日本のエネルギー自給率は現在6パーセント(注)。日本は資源に乏しく、石炭や天然ガスを安定して輸入できる確証はない。しかし国の原発の新しい規制基準の審査を通ったとしても、事故を起こした東電が原発を扱う資格があるかは別問題。立ち居振る舞いを含めて社員にその資格があるかという問題。原発をなくすかなくさないかは我々の判断ではない。供給責任があるので、国民的議論があってエネルギー政策に反映されなければ。原発を動かすのは電力会社にとってはリスク。他の方式に比べて本当に大変なので、ないほうが楽。しかし必要なのでリスクを取りながら利用する。今回の事故は技術者としてのおごりがあり、努力が足りなかった。絶対に事故を起こさない努力、同じ事故が二度と起こらないよう世界中に発信していく責任がある。

(注)ー日本のエネルギー自給率ー  2014年。原発事故前の2010年は19.9%(原子力は15%)。原子力発電の原料であるウランは日本では100%輸入だが、ウランはエネルギー密度が高く備蓄が容易であること、再利用ができることなどを理由に、国際エネルギー機関(IEA)は原子力発電を「準国産エネルギー」として自給に参入し、経産省はこれにならう形で自給としている。日本での使用済み核燃料の再利用(核燃料サイクル)の計画は頓挫している。

 原発事故の責任を負い、起きたことを考えて行動しなければならないのは東電だけなのだろうか。そうしなければならないのは私たちではないかと、改めて思った。企業とは社員ひとりひとりであるなら、国とは国民ひとりひとりだ。原発事故に限ったことでなく、私たちひとりひとりが今後を考え行動しなければ、同じ過ちを繰り返すのではないだろうか。

 

 石崎さんは2F所長時代にすっかり浜通りが好きになり、定年退職後は富岡町に住もうと、2011年3月12日には町内のアパートの下見を予定していた。その夢は今も持っているという。東電の社員でなくなってたとしても、死ぬまで福島に関わることを決めている。今度は夢が叶った家で、たとえ考えが違っても対話ができたらと思う。上野さんのように、生涯福島と関わる石崎さんの姿を見続けたい。□

​写真・文/岩波友紀​

大熊町の帰還困難区域で木村さん(左)の次女が見つかった捜索現場に花を手向ける石崎さんら(2017年1月)