(記事案)津波、原発事故、そして今度は台風の水害。という、福島独自の観点で記事化できないか。下記に出てくる伊達市のあんぽ柿農家や、いわき市で被災された方、二本松市の農家まさに今回も被害を受けてしまいました。

また、ボランティアをしていた方も、津波被害を受けていたり、東日本大震災の復興事業に関わっていたり。

その他、福島ではかなり多くの方が東日本大震災では影響を受けているので。

下記、なぐり書きも甚だしい感じですが、すみません。

・本宮市:一夜明け、本宮駅周辺が水没。救助活動がまだ行われている。本宮含め、福島県内の死者30人不明者1人(19日現在)。福島県中通りを南北に流れる阿武隈川は一夜明けても堤防ギリギリの水かさで流れていた。阿武隈川沿いはいたるところで決壊や氾濫し、報道されてないところも本当に多くの場所で水没している。

・伊達市梁川:ずっとお世話になっている柿農家の曳地さんにご連絡すると、家は無事だが、阿武隈川沿いの柿畑が完全に水没したとのこと。長野のリンゴと同じで、浸水した果物は出荷できない。曳地さんは「あんぽ柿」を作る農家。あんぽ柿は梁川の特産のいわゆる干し柿だが、干す前に硫黄で燻蒸する独特の製法でブランドとして確立された。冬季、まずしい東北の村では出稼ぎに行くのが当然だったが、それをなくして豊かさを村に与えてくれたのがあんぽ柿だったという。原発事故後には、基準値以上の放射性物質が検出され、長くあんぽ柿は出荷自粛となり苦労してきた。曳地さんに、またも苦難が襲ってきた。

梁川の街中で阿武隈川と広瀬川に挟まれた地域が完全に水没。水が引き、片付けが始まる。取材させていただいた女性は「(1986年の)8.5水害でもこの地域は水没したの。でもその時よりひどい」。2階まで浸水してしまった。長野県から息子さんとお孫さんが駆けつけ、片付けの手伝いをする。千曲川の被害を受けた市に住んでるが、自身に被害はなく、実家に駆けつけた。

・郡山市水門町:阿武隈川と谷田川に挟まれた場所だが、水が溢れてきたのは谷田川から。男性は「排水の門が途中で燃料切れになって水がここまで溜まった。台風が来るからと、数日前に点検してたのに・・」。そのかたは、8.5水害で家を建て直したのに、また今回の被害を受てしまった。新潟県警が谷田川沿いで行方不明者の捜索。(郡山で不明となっていた男の子はその後18日に見つかったそうです)。別の取材した女性の家ではこの時初めて電気が通じる。これで2階では生活できそうと、喜ぶ。

・いわき市:開設されたばかりのいわきのボラセンに行き、お手伝いをする。他5名の方と行ったのは好間町。夏井川沿いだけかと思っていたらここでも。いわき市も被災したのは「一部」であることは確かだけど、もともと大きな都市なので、本当に広い範囲で被災していると感じる。断水もまだまだ続きそうで、片付けにも支障。依頼は泥のかき出し。

依頼主さんは「(2011年の)震災で家が倒壊して、(6年前に)新しく建て直した。そしたら今度はこのザマだよ・・」。水を含んだ泥は本当に重くて、結局6人でこの日1日でも庭の半分くらいしか終われなかった。それでも運び出したのは土囊袋150袋分。1件1件この状態だと本当に大変だと感じた。

一緒のチームにいたいわき市内の母息子は「震災でうちは津波の被害を受けた。今回は自分たちが何かできるかと思って。この子(19歳)にも経験させてあげたいと。震災時は10歳で、何の役にも立たなかったけどね」。別の男性は「震災後にボランティアに通っていたけど、もっと役に立てないかと、福島の復興工事の仕事でこっちにきた。今は中間貯蔵施設関連の仕事をしている。また今回の台風のボランティア活動も続けたい」。みんな、何かを心のうちの持っている。

活動後に寄った下平窪地域の公園は、も災害ごみでいっぱいの状態。お寺、常勝院(支援物資を集めておられた)がすぐ近くにあって、寄ってみた。自治体に頼らず独自に物資を集め、配布している。「今は直接の持ち込み以外は受け付けてないくらい、ありがたく多くの物資をいただきました」。休校になっている学生などが手伝ったり。
 

・二本松市:震災後に行方不明者の捜索などの活動を続けている南相馬市の団体・福興浜団が二本松市でボランティア活動するため一緒にいく。依頼主は有機野菜なども作る農家。原発事故で農作物は大きな打撃を受けたが、復興庁のモデル事業になり農家民宿なども始めて頑張っていたが、水害ではハウスの農地全てやられてしまった。しいたけ、トマト、小松菜、ホウレンソウ・・。収穫前のコメも完全に土砂の下。