Vol.3
伝統絶やさない
福島県川内村 神楽、震災からの復活

「私は辞めろって言ったのに…もう若くないんだから…」妻の敬子さん(59)の苦言に苦笑いする秋元正さん(63)。村の諏訪神社に奉納する神楽の練習を毎晩行っている中での会話だった。  福島県川内村上川内地区に伝わる伝統芸能の「東郷神楽」。以前から青年団が中心になって春と秋の神社の例祭に奉納していたが、人口流出で若者も減り年々活動は細くなっていた。それに追い打ちをかけたのが2011年の福島第一原発の事故。川内村は同原発から30キロ圏内にあり、一部20キロ圏内の地域もある。事故当時は一時全村避難となった。12年1月にいちはやく帰村宣言をし比較的早い時期から復興に取り組んでいる川内村でも、14年12月1日現在の村内生活者(仮設住宅、借り上げ住宅との二重生活でも郵便物の住所を川内村の住所にしている村民)は全住民の約57%(仮設住宅や借り上げ住宅を返還した人は全体の約20%)。そのうちの6割近くが60歳以上で、特に若者の帰村は進んでおらず、神楽をするような余裕も人員もない状況が続いていた。


 

 春には豊作を祈願し、秋には豊穣を感謝する。秋の例祭には地区の家々を一軒一軒まわり悪魔祓いをする。農耕を主とするにとって神楽は生活と密接に結びつき、天の恵みを受けるための大事な行事だった。子供のころ、秋元さんは家に来る神楽をわくわくして待っていた。20代になり青年団に入団すると、笛や太鼓という役柄もある中で、父がやっていたという理由で舞い手になった。それを聞いた父はうれしそうに自らの手で教えてくれた。猛特訓を受けるのは仕事が終わった夜。神楽の「かぶり」を持つとまるで別人のように生き生きと舞う父。いつもと違うその姿に驚き、尊敬した。稽古の後、青年団みんなで酒を飲んでとりとめのない話をするのもあの頃の楽しみのひとつだった。
 川内村には3つの諏訪神社がある。上川内、下川内と高田島。早くに震災から復活していた高田島に加え、昨年春の例祭には下川内地区で獅子舞が復活し奉納された。それを見た秋元さんは、郷土芸能には自分たちのアイデンティティーがあると感じる。自分たちもやらなければいけないと強く思い、声をかけた仲間が集まってくれた。しかし、集まったメンバーはほとんどが50歳超え。神楽を舞える者も秋元さんともうひとりだけだった。秋元さん自身も舞うのは30年ぶり。「かぶり」は口で支えなければならず、年齢的に弱った歯を補強するため歯医者でマウスピースまで作った。体の切れが昔のようには戻らないと実感しながらも、なんとか思い出しながら、時には昔の映像で確認しながらの練習が続いた。その映像には舞を教える今は亡き父親の姿もあった。
 「こうして頑張っている姿を見て、なんとか若い人たちが引き継いでくれれば」、と秋元さんは話すが、継承できる見通しはたっていない。また数年間やらないことが続けばそのまま絶えてしまうかもしれない。絶やさないためにも自分たちで保存会を作り、なんとか若い人たちを巻き込んでいきたいと考えている。 「いやあ、正さん、ありがとう。本当に良かったよ」。奉納の日、無事に舞が終わると村の人たちから握手攻めにあう秋元さん。息をあがらせ安堵感と疲れに顔をしかめながらも、その顔は達成感に満ちているようだった。(2014年撮影)

​写真 文/岩波友紀