Vol.5
苦難乗り越え 出陣
福島県相馬地方 4年目の相馬野馬追

 まだ日が昇る前の福島県南相馬市の海岸で、砂浜を馬が駆け抜ける。2011年3月にここを襲った津波で破壊された堤防やがれきが、いまだに残っている。騎手たちは数日後に控えた地域の伝統行事「相馬野馬追」のために、毎朝この海岸で乗馬の練習を続けていた。福島県相馬地方で千年以上続くと言われる祭り「相馬野馬追」。3日間に及ぶ祭りはこの地方の最大の神事でありイベントだ。旧相馬藩の行政区であった「郷(ごう)」によって構成され、その地域は現在の南相馬市を中心に相馬市と浪江町などの双葉郡に及ぶ。5つの郷は、宇多郷(相馬市)と北郷(南相馬市)が相馬中村神社に、中ノ郷(南相馬市)は相馬太田神社に、小高郷(南相馬市)、標葉郷(しねはごう)(双葉郡)は相馬小高神社にと、領内3つの神社に供奉(ぐぶ)する。

 東日本大震災の津波でそのすべての地域が被害を受けた。多くの人が犠牲となり、甲冑や馬具などの道具も流された。福島第一原発事故はさらに追い討ちをかけ、特に原発から20キロ圏内にある小高郷の南相馬市小高区と標葉郷の双葉郡は全員が避難しなければいけない事態となった。祭りの開催は危惧されたが、過去どんな苦難があっても一度も中止されなかったことから、2011年には規模を相当に縮小して開催。震災2年目からはほぼ例年通りの規模での開催となった。とはいえ震災から4回目となる今年の野馬追でも、まだまだ震災前と同じようにはいかない。それぞれの騎馬武者がそれぞれの思いを抱えて出陣した。

 夜勤の仕事を終わってそのまま海岸に練習に来た北原靖久さん(38)。馬の体調を確かめるようにゆっくり海に向かって歩を進めた。震災後、東京電力福島第一原発事故の風評被害で仕事場である市内の工場での製造が出来なくなり、県外の工場に異動になった。そのためずっと出ていた野馬追も参加できない年が続いたが、12年12月にようやく元の工場に異動することができ、故郷に戻ってきた。事故の保証もなく仕事に忙しい生活の中、それでも野馬追だけは外すことができないものだという。練習から戻ると馬を丁寧に洗い、本場で使う鞍を付けて乗ってみる。ひととおりすむと裸のまま倒れるように眠り込んだ。

 野馬追前夜。暗くなるまでひたすら大工作業をする騎馬武者がひとり。 浪江町の稲本幸平さん(22)は昨年秋に野馬追のために南相馬市に中古物件を購入。仕事の都合などで準備もままならなかったため、野馬追前夜まで急ピッチで仮の馬小屋を作っていた。稲本さんは原発事故により故郷を追われる。県内を転々とした後、千葉県の叔父の家に世話になり、その後も同市内に家を借りて避難生活を送っていた。 震災後初めての野馬追の前には一時帰宅で陣羽織などを自宅から持ち出す。稲本さんの所属する標葉郷は全員が避難し散り散りになった。野馬追どころではなかったがとりあえず行ってみると、仲間20人ほどが集まり、馬もないため徒歩で参加した。それ以降の年は千葉から野馬追に通っていたが、給与のほとんどを野馬追のためにつぎ込むほどの野馬追好き。南相馬に馬小屋を置ける家を購入したのもすべて野馬追のためだ。大型トラックの荷台にに馬を運搬するための小屋も自分で作り、その馬運車でようやく馬を自宅に迎え入れたのは前日深夜だった。

「皆さんに支えられてこうして出陣できる。感謝しています」。野馬追1日目の朝。仮設住宅の広場で多くの騎馬武者に囲まれながら菅野長八さん(64)はあいさつをした。馬を農耕に使っていた時代に生まれた菅野さんはその馬で野馬追に出ていた父を22歳で失った。それをきっかけに勤めていた県外から南相馬に戻り、父のあとを継いでその翌年からずっと参加してきた。

「野馬追は一家総出」といわれるくらい家族の協力なしには出来ないものだという。今まで文句ひとつ言わずに馬にえさをやり、宴会や出陣の準備で野馬追につきあってくれたのは妻のまち子さん。面倒見がよく、若い人たちには自分より慕われていた。そのまち子さんを含む家族4人を津波で失った。その年の夏、こんな時に野馬追をやっていいのかと思い悩んだ菅野さん。しかし「やらなかったら家族に怒られるんじゃないか」、そんな思いに達した。知人から甲冑や馬を借りて出陣し、その後、流鏑馬をする川崎市の弟の縁で道具類など提供してもらった。今では一緒に出陣する弟とその息子たちや、縁で力を貸してくれている多くの支援者が集まる中で出陣することができている。北郷の侍大将である菅野さんの自宅には出陣の朝、必ず地区の騎馬武者たちが「お迎え」として集まり式をする。家が流されたため現在入居する仮設住宅からの出陣は今年で3回目。来年の野馬追までには新しい家を建て、そこから出陣できることを楽しみにしている。
騎馬行列を終えほっとした表情の高西久美子さん(中1)。兄の玖弥さん(20)とともに初めて野馬追に参加した。浪江町の高西さん兄妹も原発事故により相馬市の仮設住宅に避難している。玖弥さんが着る陣羽織は、震災以前に野馬追をしていた叔父のもの。南相馬市小高区の叔父の家は津波でほとんどの物が流されたが、押入れの中の陣羽織と甲冑だけは奇跡的に流されずに残ったという。中学生の頃から野馬追の裏方をしていた玖弥さんはずっと参加するために準備を進め、今年ようやく念願がかなう。「かっこいいな」。久美子さんは兄の姿や、女性の騎馬武者を見て憧れを抱くようになった。原発事故で参加者が激減していることも聞いた。避難でバラバラになってしまった小学生の同級生みんなに私の姿を見せて、元気を与えたい。そんな強い気持ちも湧き上がった。「人が少なくなってしまった中で出てくれて本当にありがとう」、標葉郷の郷大将からそう最後に言葉をかけてもらい嬉しかった。野馬追では女性の参加は20歳まで、と決められている。20歳まで毎年参加して、最後の年には出場しながら映像を自分で撮って残したい。野馬追から新たな目標ももらった。(2014年取材)

​写真 文/岩波友紀